太宰治との山崎富栄の遺書
静かな砂漠の夜、青空文庫の項目で目にとまったのは、『雨の玉川心中』というタイトルでした。著者名に「太宰治 山崎富栄」という2人の連名。分野は「遺書」です。開いてみるとまぎれもなく短い遺書でした。
「このあいだ、拝借しました着物、まだ水洗いもしてございませんの。おゆるし下さいまし」(遺書の中に富栄が記した言葉)
山崎富栄は、太宰治とともに玉川上水に入水自殺をした太宰の愛人です(知り合った当時、2人とも既婚。ただし富栄の夫は結婚後すぐに出征し、そのまま戻らなかった)。一説に太宰は独占欲が強くなった富栄に無理やり心中させられた、というものもあります。そして青空文庫には富栄が太宰と出会ってから記した日記『太宰治との愛と死のノート』(以下)もあり、富栄の心境を垣間見ることができます。
【露店のうどん屋で太宰に初めて出会った日の日記】
「あのときから続けて勉強し、努力していたら、先生のお話からも、どれほど大切な事柄が学ばれていたかと思うと、悲しい。こうしてお話を伺っていても漠然としか理解できないことは、情けない」
【ある日の日記に記された、罪作りな太宰の言葉、そして返答】
”死ぬ気で! 死ぬ気で恋愛してみないか” “死ぬ気で、恋愛? 本当は、こうしているのもいけないの……” “有るんだろう? 旦那さん、別れちまえよォ、君は、僕を好きだよ” “うん、好き。でも、私が先生の奥さんの立場だったら、悩む。でももし、恋愛するなら、死ぬ気でしたい……”
【死の約7カ月前の日記】
「私の大好きな、よわい、やさしい、さびしい神様。世の中にある生命を、わたしに教えて下さったのは、あなたです。今度もわたしに教えて下さい」
ちなみに2人をよく知る小説家坂口安吾が1948年に発表した随筆『太宰治情死考』には、富栄について以下のように記されています。
「(富栄は)利巧な人ではない。編輯(へんしゅう)者が、みんな呆れかえっていたような頭の悪い女であった。もっとも、頭だけで仕事をしている文士には、頭の悪い女の方が、時には息ぬきになるものである」
「太宰の死は情死であるか。腰をヒモで結びあい、サッちゃんの手が太宰のクビに死後もかたく巻きついていたというから、半七も銭形平次も、これは情死と判定するにきまっている。然し、こんな筋の通らない情死はない。太宰はスタコラサッちゃんに惚れているようには見えなかったし、惚れているよりも、軽蔑しているようにすら、見えた」 ※「スタコラサッちゃん」とは、太宰が富栄に付けたニックネームのひとつ
「当面のスタコラサッちゃんについて、一度も作品を書いていない。作家に作品を書かせないような女は、つまらない女にきまっている。とるにも足らぬ女であったのだろう」
「(富栄の遺書には)尊敬する先生のお伴して死ぬのは光栄である、幸福である、というようなことが書いてある。太宰がメチャメチャに酔って、ふとその気になって、酔わない女が、それを決定的にしたものだろう」
「太宰のような男であったら、本当に女に惚れゝば、死なずに、生きるであろう。元々、本当に女に惚れるなどゝいうことは、芸道の人には、できないものである。芸道とは、そういう鬼だけの棲むところだ。だから、太宰が女と一しょに死んだなら、女に惚れていなかったと思えば、マチガイない」
心中後の玉川上水の土手には、入水を拒みしがみついた手のあとがくっくりと付いていたという証言もあれば、富栄の顔には苦しんだ後があり、太宰の顔は安らかだったことから太宰の方は入水時には既に仮死状態だった(無理心中?)というものあります。
坂口安吾による富栄についての解説は取り付く島もないですが、女性が彼女の日記を見たら、また別の印象を持つ人も多いのではないでしょうか。
「私と一緒なら、お酒も、煙草もやめて、もっと、もっといいものを書くんだがなあ、と仰言った修治さん。誰も僕達がこれほど好き合っているなんて、知らねえだろうなあ、と仰言った修治さん。十年前に逢いたかったなあ、と仰言った修治さん。先輩の方がみえても、別れるのは、やだよ、と仰言ってくださった修治さん。」
妻子がありながら、「死ぬ気で! 死ぬ気で恋愛してみないか」と富栄に言った太宰。そして妻子と富栄がありながら、『斜陽』のモデルとなった太田静子と子どもをもうけた太宰。ありったけの貯金を使い果たし、太宰に尽くし、太宰のみの世界に生きる富栄に太宰が言った言葉は、
「ごめんね、あのね、苦しいんだよ……。恋している女があるんだ。(中略 ※これは太田静子のこと)ファン・レターから、お見合いが始まり、この間手紙がきて、結婚を強いられている由」
「だから言ったじゃないか、お前がいつも、そばから離れずに、付いていてくれなきゃ駄目だって……。僕はどうしてこう女に好かれるのかなあ!丁度いいらしいんだね、僕は。余り固くもないし、場もちは上手だし――」
本妻、そして新しく現れた女、太田静子が富栄の心を不安定にし、「太宰の最後の女」へと急進させたのは想像に難くありません。でも太宰はきっと誰のことも愛していなかったのでしょう、自分自身をのぞいては。そして、一人で死ぬのはこわかった。天才の命、人の夫を奪ったと世間に責められる富栄ですが、彼女のひたむきな恋慕が太宰によって利用された側面も、見落としてはならないと思うのです。
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“青空文庫『ある遊郭での出来事』”もぜひお読みください。