青空文庫『ある遊郭での出来事』
外国暮らしで思うように日本の書籍が手に入らない昨今、ネットで公開されている青空文庫を利用してみることにしました。著作権が消滅した古い作品がほとんどなので、母国語でありながらすらすら読むという感じにはいかないのですが、日本語の変化を見ることもできて、非常に興味深いです。
今週読んだのは、小説家、若杉鳥子(わかすぎとりこ)の短い随筆『ある遊郭での出来事』です。1925(大正14)8月の『婦人公論』に掲載された作品というのですから年季が入っています。ほぼ100年近く前に書かれたんですね。
ある人が「読書は過去に存在した天才との触れ合い」と言っていましたが、実際約100年前に書かれたものが、今、時を超えて私の目の前にあるということは、とても不思議な縁に感じます。
若杉鳥子という小説家は、茨城県で芸妓置屋を営む家の養女として育ちました。ここに書かれていることは、遊郭の全体像ではなくとも現実の断片であると言えるでしょう。
『ある遊郭での出来事』には遊郭で起こった情死や心中事件がいくつか書かれていますが、「情死者の葬式」の項は鮮明に私の心に残りました。作者は墓地での「普通の死を囲繞(いじょう)するものとは全然異なっている」場面について記しています。
★ここから下は原文抜き出しなので、これから全体を読まれたい方はご注意ください★ ↓
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以下、原文抜き出し――――――――――――――――
何等の形式の片影も被かぶせられてない血みどろの若い女の屍体が、厳然と置かれてあるではないか……。無宗教の葬式のように、お経を読むでもなく香を焚くでもなく華を手向けるでもない、悼詞で死者の生涯を讃めたたえるような友人も彼女に勿論あろう筈がないのだった。文字どおりただ埋めるだけなのである。墓場に和尚は顔を出しても、法衣一つ身に纏わず、自分も迷惑そうな苦笑さえ浮かべて、『××楼さん――どうもはやお気の毒な事で、とんだ御損害で……』 楼主に対して挨拶をする。坊さんばかりでなく、此処へ集まって来ている誰も彼もが、不思議と彼女を憐れもうとする者は一人もなく、『御災難で、御損害で、御気の毒で』と楼主に対して繰り返してる。 ――――――――――――――――――
「そしてまた彼女達は、何と容易に死を選ぶことだろう、刃物で、劇薬で、鉄道線路で……」
遊郭に売られた女性たちの悲惨な境遇と絶望が、場面描写からにじみ出ています。百年前の命…今の命も重さは同じであるはずなのに…。2分ほどで読み終わる短い随筆なので、ご興味がおありの方はぜひ読んでみてください。
《気になった表現》
センジュアル:大正時代の作品には、外来語のカタカナが今よりむしろ頻繁に用いられていたりします。近年復活の兆しがあるこの「センジュアル(センシュアル)」は、1892年の北村透谷作品や同年代の寺田寅彦作品にも使われており、意味は「官能的」「肉感的」。『ある遊郭~』内では、この他「死面」に「デスマスク」、「衝動」に「ショック」というルビがわざわざふられていました。
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